なんでこの映画を観たかというと、二階堂ふみを観たかったから。
まあ、ホームドラマに毛が生えたようなものではあったが、終り頃には整理ちゃんが可愛くみえるのが我ながらおかしい。「性欲くん」とそのセリフには笑った。
やっぱり、二階堂ふみはうまいなぁ。しかし、なんでこの映画に出る気になったのだろう。たまには気楽に演技が楽しめる映画にでたくなるのかな。
伊藤沙莉はコメディーリリーフが板についてきたなぁ。TVでも観てきたけど相変わらずうまい。
何かでこの本に出てくる引き上げのシーンを読んでまとめ買い&一気読み。
過去と現在を行き来する構成だが、やはり作者の戦争体験に引き込まれる。引き上げ体験の話は新田次郎の妻、つまりは藤原正彦の母である藤原ていさんの「流れる星は生きている」を読んでいたので初めて読む話ではないのだが、はやり「ズシン」と心に響くものがある。あのような極限体験は人間の本性がでるものなのだろうし、その体験を経た人間はそうでない人間とどこかが、何かが違う気がする。
ともあれ、この自伝的日記は本当に楽しく読めた。
ここまでやられると、どっぷりとノスタルジーに浸ることへのちょっとした後ろめたさなどどうでもよくなる。
一つ一つのエピソードが絶妙にミックスされていて、あざとさを感じる隙間が無い。
懐かしさのなかに挟み込まれた三浦友和の家族、戦死した部下のエピソードが沁みた。
誰に感情移入してしまうかと言えばもちろん息子の一平である。よくぞこのキャラクターを探したものだ。吉岡秀隆は少し屈折した役をやらせるとうまいなあ。
とにかくキャスティングが絶妙。薬師丸ひろ子がここまで「昭和のおかあさん」役がはまる役者になるとはデビューした当時を知る者として感慨深い。
とにかく、現実逃避とでも何とでも言えという気分で映画の世界に浸らせてくれる。
これからも折に触れ観るのだろうなぁ。
著者とはほぼ一世代ずれていはいるが、この本に描かれた時代の空気は十代の身体でたっぷり吸ったので一世代ずれた視点から描かれた1970年代として懐かしさとともに楽しめた。
フォークにはどっぷりと浸ったはずなのに、著者が描く「フォークは好かん」という気持ちにもどこか共感できるところがあり、今冷静に眺めればフォークが持つ民族音楽的な普遍的なものとカウンターカルチャーとしての時代の仇花としての要素のどちらに感応するかで好き嫌いがわかれるのかもしれない。
この絵柄はこれまで何度も目にしているはずなのに著者の名前を意識したのは今日が初めてだったのは自分でも以外だった。
しかし、才能のほとばしりを感じさせないこの才能はなんなのだろう。
何度も味わいたい作品だ。
なんといっても88才での「このミス」一位に驚かされる。
しかも、作者は昔観たアニメの脚本家としてその名前が心に刻み付けられている辻真先ではないか。早速、kindleで購入、一気読み。
副題に「昭和24年の・・・」とあるように、戦後の風俗小説としての側面もあり、初めて知る事実に驚かされた。それに青春小説としてのちょっと甘酸っぱい雰囲気も楽しめる。しかし、正直なところ、これが「このミス」一位でいいのか、という感じ。決して作品の質としてふさわしくないというのではなく、読後に感じたミステリーの濃度の低さからの感想。
タイトルへの想いは作中で語られるが、チャップリンの「殺人狂時代」の「一人殺せば殺人者、100万人殺せば英雄になる」に通じるものなのだろう。
しかし、この人がいなかったら昭和のアニメの質は全く違ったものになっただろう。この本を読んで、次回作には切なさを極めた青春小説を期待してしまった。
二階堂ふみを見たくて、いや正確に言えば二階堂ふみの演技を見たくて観た。
期待通り、やっぱり二階堂ふみはうまいなぁ。コメディエンヌの素質もあるし、
朝ドラでの歌唱力にはびっくりした。
これからもいいホンを選んで頑張って欲しい。
出演していた他の若手の俳優もみんな演技がうまいことに驚いた。
特に吉沢亮のラストの表情にはぞくりとさせられた。
説明のためか焼死体の一部を見せていたが、あそこはきっちりと覆うべきだろう。
警察があんなヘマをしないであろうことを思って少々白けてしまった。
妊娠してしまう女子高生の役の子は初めてみたけど、まさに体当たりの演技でよかった。
テレビドラマの下手な演技に慣れてしまっていたのか、演技の良さが新鮮だった。
主役の二人はくしくもNHKの朝ドラコンビ。やはり、朝ドラに下手な役者は出せないということか。
行定勲監督の名前は知っていたが、長編作品は初見だった。
狂言回しの釣り人の演出は少しあざといけどムードにアクセントを与える効果は十分
。他の作品も観てみたい。