やぶにらみ気まぐれmemo

読んだ本、観た映画などなどの徒然日記

本「グレード・ギャッツビー」

 

映画のタイトル「華麗なるギャッツビー」として昔から知ってはいた。男性用化粧品のシリーズ名として「ギャッツビー」も知っていた。

で、本を読むのは初めて、というか何度か読み始めてはやめていたのを今回は読了。

こんなストーリーだったのか。個人的には今ひとつだった。誰にも感情移入ができないし、成熟した大人が一人も出てこない。ただ、あの時代に金持として生きていたらほとんどの人間がこんな風になるなるのだろうな。そんな状況、例えばギャッツビーの葬儀の状況に切なさや思い入れを感じる人々にはたまらないのかもしれない。

映画「イヴの総て」

 

初見だと思って観ていたが、鏡のラストシーンに見覚えがあった。若い頃に観たときにはこの映画が描いている女というか人の欲望のありかを抉り出す演出に興味を持てなかったのだろう。それはよくわかる。正直にいって今観ても楽しめる映画ではない。ただ、観始めたら目が離せない。序盤は退屈なのだが、ベティ・デイヴィスがイヴの思惑を感じ始めてからの演出はすごい。観終わって、あまりの完成度の高さにぼーっとしてしまう。そこが面白さだといえばそうなのだけれど。

観ている最中に息苦しさを感じた理由が最後にわかった。

タバコが原因だった。ほとんどの場面で誰かがタバコを吸っている。とくにベティ・デイヴィスがベッドで朝食をとるシーンでタバコを手放さないのには息苦しさを感じてうんざりする。現在、あまり放映されないのはそのせいもあるのかな。ひと昔前ならタバコ会社が喜んでスポンサーになりそうだ。

もしかすると当時のスポンサーにタバコ会社がからんでいるのかもしれない。

映画のなかでも新人役で出ているマリリン・モンローはやっぱり輝いている。

映画「疑惑の影」

 

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  • ジョセフ・コットン
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ラストを観て大昔観たことを思い出したが、途中のストーリーは忘れていた。

もう少しサスペンス風味があるものと期待していたが、緊張感の盛り上がりは今ひとつだった。今の自分の印象に残ったのはコットンが犯罪を犯す理由として、幼い頃の事故が暗示されていることと、ヒロインへの述懐の中でしきりに世の中が腐りきっていることを訴えるシーン。当時としては刺激的だったのだろうが、今となっては何度も観たシーンという感じ。やはり、映画の同時代性は大事なのだなぁ。

本「スタイルズ荘の怪事件」

 

クリスティを夢中になって読んでいたのはいくつのときだったろう。

小説でこんなに面白いものがあるのか、という驚きだけは覚えている。

ただ、この処女作はどういわけか読んでいなかった。

あ~、面白かった。

本「シャドー81」

 

このミス第一回(1977年)第一位。

ミステリーというよりも、冒険活劇だが十分楽しめた。

前半の船の手配のところでは事件もなく、少しだれ気味だったが、この緻密な描写がハイジャック事件に説得力を持たせる。

とはいっても、やっぱりどこかモタモタ感があるのは時代のスピード感の違いだろう。知らないうちに自分も時代の移り変わるスピードに慣れてしまい、ストーリー展開への感性に影響が出ている気がする。

最後に近いシーンで味方の機を撃墜することをためらうグラントに少し違和感があったが、確かにキャラクターとしてはそのような仁義は守る男として描かれている。

ただ、死ぬかもしれない捕虜になることには、なんとも割に合わなさがぬぐえなかった。

でも、ラストはベトナム戦争や軍人の描き方とうまくマッチしていた。

 

映画「宮本武蔵 一乗寺の決斗」

 

クライマックスは太夫が武蔵に人の生き方の講釈をするところかな。

確かにピンと張りつめたままでは生きていけないよな。

だた、そのために琵琶を割らなくても。

日本刀を持ったことはないし、ましてや何かを切ったことなどないので、決闘場面のリアルの程度がよくわからない。

ただ、日本の刀をあのように片腕で振り回せないことぐらいはわかる。

子供の大将を切った後にひたすら逃げるところはリアルだった。

画面としては、錦之助の鬼気迫る演技でなんとか見ごたえのあるものになっている。

平幹二郎がこんなアクのある役者だったとは。佐藤慶高倉健のからみでは佐藤慶の迫力が勝ってたな。あと、入江若菜が美しい。

映画「飢餓海峡」

 

まず、クレジットで音楽が冨田勲であることにびっくり。

 

なんともやりきれないラスト。

途中で明かされる被害者の傷からすれば、三国の一撃で決まったようにみえるので、三国の殺人と思えるのだが、どうなのだろう。

いくらおなかが空いていたとはいえ、おにぎりを手袋をしたまま食べることに違和感大。

左と三国とのなれそめや左の行動など、つっこみどころはいろいろあるけれど、最後に伴淳三郎が語るように、戦後の日本の貧しさや当時の人々の生きていくことに対する思いが根底に流れているので、なんとなく納得してしまう。

連絡船の遭難を逃亡に生かすアイデアは面白いけれど、あの規模の遭難で被害者のすべてが回収され、引受人が確認できる(二人に引受人がいない)ところは当時の状況からしてどうなんだろう。

しかし、三国もなにも左を殺す(そのつもりはなかったにしても)ことはあるまいに。

ただ、ぐいぐい引っ張っていく力はすごい。